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母の命日
今日は母の命日です。

4年前の今日、朝早く病院のベッドで亡くなりました。

前の日の晩、看護師さんが「今日明日・・・でしょう」とおっしゃって、

家族や親戚が呼ばれました。

前の日の夜、まだ小さい子どもたちを連れて病院に行きました。






と書きながら、娘の様子を思い出していましたが
息子のことは思い出せません。
その頃は9ヶ月でしたが、困った覚えもないということは
泣いて騒ぐこともなくおとなしく寝ていたんでしょうね。
抱っこが重い、と思った記憶もないので、多分ベビーカーで寝ていたんでしょう。

娘は2歳でしたがおとなしく、神妙な顔で私の横にいました。
母が亡くなったのは午前5時頃でしたが、一晩中グズることもなく
眠たくなったら私やオットに抱っこされつつ、
おりこうにしていたのを思い出します。

おりこうと言えば、お通夜やお葬式のとき。
私やオットがいろいろな雑用で全然構ってあげられなかった間も
まだたった2歳なのに知らない大人と同じ席に並んで座って、
大人用の食事をちゃんと正座をして割り箸を使って食べていました。
お参りに来たいろいろな人が驚いていたなぁ。






病室で母が亡くなるときは、

脈も呼吸も弱くなり、もう、いよいよ亡くなるんだという実感が湧くまでは

まだまだ元気になってくれるんじゃないか、と思っていました。

実は、母は肝臓移植の登録をしていました。

1度移植の話があり、病院にまで行き準備をしましたが、

提供者の肝臓が脂肪肝だったことで手術を受けられずにいたんです。

もしかして、ここで持ち直して、移植を受けられるかもしれない、

母が死んでしまうという実感がわく寸前まで、そんな風に思っていました。

今思えば、こっけいにも思えるような話ですが、

本当にギリギリまで母はまだまだ死なない、と思っていたものです。



でも、病室で、モニターの数字がどんどん低くなってきて、

母の生気が失われていく様子をずっと見ているうちに、

母がもうすぐ死ぬ、という現実を受け入れざるを得ませんでした。。。


亡くなる寸前(だったかな??)、主治医の先生や担当だった看護師さんたちが見えて

一緒に見守ってくださいました。

正直、そのあたりのことは記憶があいまいです。

一睡もしていませんでしたから、頭がぼんやりしていたのかもしれないし、

母の死という出来事の詳細を脳が消し去っているのかもしれませんが、

ひとつ覚えているのは、父が横で一生懸命話しかけているときに

母が涙を流したこと。


その頃は体中の毒素が脳にまわって、脳症を起こしていたのですが、

亡くなる間際は開いている目がとてもしっかりしていたんです。

いつもの「どこを見てるかわからない目」ではなく、

意識をしっかり持っている目でした。

見守っている親戚や家族のことを見て、母はどう思ったのでしょうか。

もうすぐ死ぬんだ、と思ったでしょうか。

死にたくない、と思ったでしょうか。


父の目を見て涙を流したとき、

「もっと一緒にいたかったのにごめんね」と思っていたんじゃないかな。。。

今、そんな気がしました。



・・・わかりませんが、

みんなに見守られて、惜しまれつつ逝けたのは

幸せなことだったんじゃないかな。







母の命日、

胸の中の鍵をかけて閉めている部屋をあける日です。

4年経ったのに、

思い出すとやっぱり涙が出てしまうんですね^^;

母のために、これからもしっかり生きていかなくてはいけません。








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【2012/04/27 11:24】 | つぶやく | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
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コメント
何年たっても悲しみの扉は開いちゃうものですね。初めの1年は開きっぱなし。よくしたもので、3回忌を機に扉は閉められるんですけど、何かの拍子に開いてしまって、涙がとまらなくなってしまいます。私の父も今年13回忌を迎えます。もちろん、人前で涙というのはないんですけど、そして、思い出して涙が止まらないっていうのは、治まってきましたが、たとえばそれを記事にしようかとか文章にしようかと思うと、駄目ですね。
でもね、そういう肉親を持てたって言うことは本当に幸せなことなのだって思います。最後を見送りできたことも。
お母様の涙の意味も、いつまでもなんだったんだろうってお思いになることと思いますが、最後にお父様の眼をちゃんとわかって流されたんだと思いますから、「ありがとう、幸せだったよ」の涙だと思いますよ。
お母様を想っての涙…、あなたが流していてくれる間はちゃんとお母様はすぐ近くで見守っていてくださいますよ。頑張っているのもちゃんとわかっていて背中を押していてくださいますよ。
【2012/04/28 10:48】 URL | よしこ #-[ 編集] | page top↑
>よしこさま

こんにちは!
コメントありがとうございました。

そうですね、文章にしているとよりリアルに思い出すし、気持ちも入り込む感じがします。
でも、よしこさんのおっしゃるように、そんな母親を持てたことは本当に幸せなことだと思いました。自分が死んだとき、同じように子どもたちが思ってくれるとはとても思えませんから・・・( ̄ー ̄;)
もっともっと頑張らないといけません^^;
・・・「同じ」は無理かもしれないけど、でもいつも心がけてはいきたいですね。

ありがとうございました(*^^*)
【2012/04/28 11:41】 URL | プッチョリーナ #X7ABRAOI[ 編集] | page top↑
胸がいっぱいなりました
2ちゃいだった娘さんのけな気な背中が浮かんできますね‥

お母様 素敵な女性だったんですね あこがれます
ご存命だったらなんて言葉をくれるだろう?って思いを馳せますね‥
きっと「小さな孫らを守ってね‥」って仰るでしょうね

いや それ以上に娘のプッチョリーナさんのことをご心配されるだろうと思います
我が子には、いろんなことがあっても日々笑顔で暮らしてほしい♪

きっといろんな場面で背中を押してくださると思います
見守って励ましてくださっていると思います
【2012/04/29 10:16】 URL | i-yon #lYpdORLU[ 編集] | page top↑
>i-yonさま

i-yonさん、温かいコメントをいつも本当にありがとうございます。

母は、症状が重くなり意識がなくなる前、脳症がひどく、掃除のおばちゃんを見ては娘(孫)の名前を呼んでいたそうです。
私が母が望むほど会いに行かなかったこと、娘を授かるのが遅かったこと、いろんな理由で、最後の最後まで母にはつらい思いをさせていたんだと思います。
だからこそ、命日はいつも以上に母のことを思い出し、いろいろな後悔の気持ちに押しつぶされそうになります。

でも、毎年少しずつですが、命日がくるたびにその後悔が「感謝の気持ち」と混ざり合ってるような・・・そういう感覚もあります。
今こうして毎日をつつがなく暮らせていること、いろいろなことが少しずつ片付いていること、i-yonさんのような方から温かいコメントをいただけること・・・そういうことがひとつひとつ母のおかげのような気もするんです。

これから先も、みなさんに励ましていただきながら少しでも成長していけたら。。。と思っています(*^^*)
【2012/04/29 23:44】 URL | プッチョリーナ #X7ABRAOI[ 編集] | page top↑
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