スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【--/--/-- --:--】 | スポンサー広告 | page top↑
お迎え
ずいぶん前にNHKのクローズアップ現代という番組で

「お迎え」についての放送があったそうです。

私は見なかったのですが、先日父の依頼があり内容について調べました。

(興味のある方はどうぞ →コチラ 放送内容が全部テキストで見られます)


かいつまんでいうと、

死を目前にした人の4割が「お迎え現象」を体験した。

人間は死が近付いてきたときにそれを迎えるための自然な力を持っている。

(たとえば「食べなくなる」などの症状もそのひとつ)

「お迎え現象」は、同じように体(脳)が死をむかえるための準備をする、

その力(現象)のひとつではないか。

そしてその現象は、自宅や暮らしなれた施設など、

落ち着いた生活を送っている中で起こりやすい。

「みとり」によって、本人も、家族も穏やかに死を迎えられる。


こんな内容の話でした。


何らかの危機的症状が出ることで病院に搬送し、

その機会を奪うのではないか、ということや、

「看取り」ということの今後のあり方についても触れられたようです。



我が家の場合は、

実母は肝硬変で病院で亡くなりました。

母は移植を希望していたので「治療をしながら最善の状態で待機する」という選択を

当たり前のようにしましたが・・・

移植は無理だというくらい病気が進行した状態のときに

自宅に連れて帰ってやるという選択もあったんだ、と今は思います。


当時、母が末期になっても父は「まだ移植がある」と思っていたので

おそらく(父が)その選択をする(認める)ことはなかったでしょうけど・・・

(認めさせることも私には出来なかったでしょうけど)

母のためを思うと、本当はそうしてあげることが最善だったのかもしれない。


そんなことを考えていると、

本当に愛する人をどうやって「送るか」、というのは

大変な問題だと(今さらですけど)思いました。

愛すればこそ、延命を望むことも当然だし、

本人が穏やかになれる場所で死を迎えさせてあげたいというのも自然な考えです。

その状況、その判断、それはそのときにならないとわからないけど・・・

難しいですね。


じゃあ義父を自宅(我が家)で看取るという選択を私が出来るかというと・・・

それも今は覚悟がまだありませんが、

いずれそういう道を選ばなければならないときがくる・・・んでしょうね(--)


義父も、人生をしっかり歩んできた一人の人間です。

いよいよのときは「義父のために」と考えてあげなければならないのでしょう。



自分が死ぬときも、

誰が死ぬときも、

穏やかに、幸せな気持ちで、というのが理想ですね。。。




ちなみに番組の一番最後では、もっともいい「みとり」として

このように紹介されていました。

最もいいみとりとは子どもたちのにぎやかな笑い声ですね。

インディアンの詩にもありますように、

 「私の家は笑い声に満ちている。

 子どもたちは家に戻ってきた。

 さあ、今日は死ぬのにはもってこいの日だ。」

そうだと思います。



ぬわ~、そりゃそうだけど・・・と

義父の今後を思い悶絶したプッチョリーナでした(--)











余談ですが、
NHKのテキストを見ていて、
オット母の認知症という病気もある種の「お迎え現象」によって
形作られていると思いました。
我が家にいた頃(脳出血を起こす前)、
我が家は住み慣れた自分の生まれ故郷の家だと思っていたし、
「ばあちゃんが来てる」と言ってましたし。
テレビで扱っていたお迎え現象を、
ゆっくりゆっくり、人よりも時間をかけて体験しているのかもしれません。

これから暮らす新しい場所で、
オット母の気持ちがあの頃のように穏やかになればいいなぁ、と思います。


ポチッとしていただけると励みになります!
どうかよろしくお願いしますm(*_ _)m
↓  ↓  ↓
にほんブログ村 介護ブログ 認知症へ
にほんブログ村
スポンサーサイト
【2012/11/13 10:42】 | つぶやく | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。