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認知症のはじまり
オット母のところへ持って行く写真を用意しようと、

たくさんのバックアップ写真を漁っていました。


どんな写真がいいだろうか?

やっぱり、元気な頃のがいいよね?

子どもも一緒がいいよね?

子どもが赤ちゃんでもいい?

いやいやなるべく新しい(最近)のがいいでしょ。

でも赤ちゃんの頃のじゃないと一緒の写真がないもんね( ̄_ ̄;)

などと考えながら、

オット母と子どもたちと一緒に写っている写真、

オット母に見せるのに良さげな子どもたちの写真を探しました。


オット母も義父も、うちの子を抱くことがほとんどありませんでしたので

写真は限られているのですが、

何せ整理されていない「マイピクチャ」です。

テーマは決まっているのに

どの写真を持っていこうか探すだけで一苦労でした^^;


そして見つけた写真。

それを見て、初めて気付いたことがありました。


* * * * *


娘が生まれたのは7年前。

息子が生まれたのは5年前。

オット母が認知症の診断を初めて受けたのは6年前です。


つまり、息子が生まれたときには

オット母はすでに認知症の診断を受けていたことになります。

でも、当時は私たちはそれについてまったく知らされていませんでした。

しばらく後に、

義父から「コイツ(オット母)がボケたことばっかり抜かすから

〇〇先生(かかりつけ医)に調べてもろうたけど異常はないと言われた、

脳に萎縮もなんも見つからんかった」
というのは聞きましたが・・・

よもやその頃すでに「認知症です」といわれていたとは思いも寄りませんでした。



診断のあとも、義父は認知症について

「年齢的なことと気合が足りないせいでちょっとボケが入った」という認識でした。

いつも義父はオット母を「アホがボケてしもうて!」と罵っていました。

オット母が何かとぼけたことを言い、義父がこきおろす。

それは、私たちが結婚する前から、結婚してから、

常に繰り広げられる日常的な光景でした。

確かに、娘が生まれる前後から罵倒の勢いは増していたと思います。

でも、それでもオット母は笑い、オットも知らん振りをし、

私は困った顔をする、そんなことが当たり前になっていました。



残酷なことに、

私たちはオット母の変化をそれほど深刻に捉えておらず、

義父同様、年齢的なこともあり『元来の「天然」に磨きがかかった』程度にしか

受け取っていなかったんです。

誰も、オット母の病気について理解もせず、対策もとらずに過ごしていたわけです。



その後、いよいよおかしいと気付いた矢先に義父が倒れ、

オット母との同居が始まり、今に至るわけですけど・・・

とにかく、

息子が生まれた5年前、私たちはオット母の病気のことを

知らされてもおらず、気付いてもいませんでした。











でも。


今回、オット母のところへ持って行く写真選びをしていたとき、

気付きました。


7年前、生まれたばかりの娘を抱いたオット母。

5年前、生まれたばかりの息子を抱いたオット母。

同じアングルで写真を撮っています。

同じアングルで同じように赤ちゃんを抱いた写真なのに

表情が。。。

全然違いました。



ここで写真を紹介するのは控えますが、

同じオット母なのに・・・

同じように笑っているのに・・・

まるで違う表情です。






当時、私は義父の「女はいらん。男しかいらん」発言で心身ともに参っていました。

息子がおなかにいる頃から娘のことを「いなくてもいい子」と言い、

息子が生まれた直後からは「男子誕生万歳」。

正直オット母に対する信頼も失っていましたので(同じ母親でありながら

なぜ守ってくれないのだろう、と思っていました)、

義父母の顔をまともに見る、ということがありませんでした。

写真ですら、義父母と一緒に写ってる写真は別のフォルダに分けて

普段は目に触れないようにしていたほどです。








そんな中で撮った写真・・・

オット母の目はぶっ飛んでました。

口を開けて笑っていますが、何と言うか・・・不自然な笑み。

言ってみれば、無邪気すぎる、というか・・・

そこに写っているオット母はまるで他人のようでした。




私・・・どうして気付かなかったんだろう。

義父のことも、オット母のことも、この頃は大嫌いだったから

見ようともしてなかった。

私のことも、私の大事な娘のこともボロクソに言う義父と、それを笑って見てる姑。

彼らのことを直視する気もなかったしその気力も奪われていたから

こんな「変化」を見逃していたんだ。

それは今だからわかる「結果論」で済ますには

あまりにハッキリし過ぎる「変化」でした。



6年前、認知症と診断され、

夫である義父にも相手にされず、それまで通り暴言を浴びせられ、

息子であるオットにも娘である義姉にも、

変化を感じ取ってもらうことすら出来なかったオット母。

5年前に私の息子が生まれたとき、

すでにこんな目をしてたんだ・・・




・・・・・衝撃でした。









そして義父。

大部分が自分の責任とは言え、

妻であるオット母が認知症という病魔に侵されていくのを近くで見ていた義父も

かなりしんどい思いをしたでしょう。

自分が肺炎になって倒れるまで、息子夫婦を頼ることも出来なかったのは

「出来る」と思ったからか、

それとも言い出すことが出来なかったのか。

いずれにしても倒れるまでオット母の面倒を看ていたわけです。

罵りながら、こき下ろしながら、

あんなにオット母がボロボロになるまで助けを求めることなく

オット母と2人暮らしていた義父。



それでも「自業自得」という言葉は私の頭に浮かんで消えませんが、

気付かないうちに本当にきつい思いをさせてしまったのだと、

そのオット母の写真を見て思いました。





今日、敬老の日で義父を訪ねました。

この先同じ屋根の下で暮らすことはないオット母と義父。

年をとって、

世の中は「敬老の日」なんて言ってるけど・・・

オット母と義父にとっては、

ただの「生き延びている1日」なんだ、と思いました。






年をとるということがきれいごとではない、と

義父母を見ながらこの1年毎日のように感じてきましたが、

やっぱり同じように感じた「敬老の日」でした。。。












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【2012/09/17 22:48】 | オット母 | トラックバック(0) | コメント(4) | page top↑
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