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不純
昨日、オット母のところに行きました。

昨日の記事にも書きましたが・・・昨日は正直面倒くさかったんです。

行ってもどうせわかんない。

話なんて出来ない。

子どもを見ても無反応。

せめてオット母が何かしゃべってくれれば、会話も展開するけど

最近の状況じゃそれも望めない。


私はただ洗濯物を届けるだけ。

顔を見て、表情や顔色やむくみを見て、元気そうかどうかを見てみる、

そのために、昨日も行きました。。。




第一、認知症になって我が家に来た時点で

すでに私のことなんてわからなかったんだもの。


私がオット母のところに行くのは

言ってみれば「定期点検」のようなものなんです。

・・・嫌な表現だとお思いでしょう(--;

でも、実際問題、オット母の様子を見に行くのは

変化がないか、あるとすればどの程度か、どんな変化か、

そのチェックのためなんです。

お世話はプロの方がしっかりしてくださっている。

万が一何か良くない事態が起こればすぐに連絡もしてもらえる。

私はただ「異常なし」を「見に行くだけ」。



もちろん、顔は見たいです。

元気かな?

私たちが行くと喜んでくれるかもしれない。

そういう気持ちも確かにあります。

それはもう間違いなくあります。


でも・・・

昨日のように「行きたくない」と思うこともよくあるわけで。

洗濯物を届けて顔を見たらすぐ帰ろう、と思いながら

部屋に入っていくことも多々あります^^;




そんなことを思いながらそれでも行くのは。。。

やっぱり嫁として?というよりも出来る立場の者として

オットや義父や義姉が出来ないことの埋め合わせを

しなくてはいけないような気がするから・・・?


同じ母親として気の毒だと感じる、というのもあります。

あんなにかわいらしい、頑張り屋さんで、芯のしっかりした「母親」が

こんな風に人生を終えていく・・・

その姿を誰かが見届けなくてはいけない。

同情や愛情を感じながら「使命感」のようなものも感じてしまう。。。


何と言うか・・・不純というか・・・

あまりキレイではないです。。。









実は、お盆に義姉が遠方から実家に帰って来て、

母親にも会わずに向こうに戻ろうとしていた話を実父にしたとき、

父はオットの家族のあり様を「動物的」と表現しました。

非難というよりは驚いた様子で。


確かにそうかもしれない。


忘れた人のことは忘れる。

義父やオットや義姉が

母親でさえ「淘汰していく」様は確かに動物的です。

野生的というか。



もちろん、

身体を悪くした義父を、

仕事で忙しいオットを、

遠方で暮らす義姉を、責めることは出来ません。


私も子どもを優先しているんだから同じ。

誰のことも責める資格はありませんが・・・


でも、というか、だからこそ

せめて私は私の今出来る役目は全うしなくては。

そんな風に感じてしまう・・・(--)

「オット母のために」というのとは微妙に違います。

それはそれで事務的で、

「動物的」の対極ではありますが

人間味には欠ける気がしますよね。。。(--;








昨日、オット母は

とてもとてもご機嫌でした。


「おかあさん」と声をかけるとこちらを見て

「あらぁ」と言いました。


つながりのない不明瞭な話ではありますが

ニコニコしながらいろんな話をするオット母を見て、

「そばにいてあげられるのは私しかいないんだなぁ」と思いました。


少しだけむくみの残った足をさすってあげながら

「またくるね~」と言うと

「はぁい(^^)」とニッコリ笑いました。




「どうせわからないのにめんどくさい」なんてことを思っちゃダメだ。

形としてそばにいてあげられる役目をもっと果たしてあげなくては・・・





・・・なーんて。

昨日はオット母の調子が良かったので、

そんな風に感じることが出来ました^^;

いつもそんな風に思えればいいんですけどね~^^;











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【2012/08/31 08:00】 | つぶやく | トラックバック(0) | コメント(12) | page top↑
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