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見てる聞いてる思ってる・・・
オットと主治医の先生の面談は来週になるようです。

オットが病院に連絡をして面談の申し込みをしたいと伝えたら、

「時間内じゃないと無理です」と言われたそうです。

そこで、「来週の木曜日にお願いしたいのですが」と連絡をしたら

「診察時間内は患者さんが多いのでお話する時間はありません」と言われたそうです。


はい?("゚Д゚)!?

何なんですか?それ。

そんな話聞いたこともありません。


私の実母も入院生活が長かったし、主治医の先生もその間に何人か変わりましたので

医師と患者の家族の面談というのは何度も経験があります。

でも・・・「時間内じゃないと無理」と言われたことはありませんでした。

そして「時間内は無理」と言われたこともありません。

入院直後の診断以外に、先生や看護師さんから状態の説明をされたり

「お話をお聞きになりたいなら・・・」という言葉かけをしてもらったことが

実母のときは何度もあります。

というか、入院後少し時間が経ってから

「説明したいので来て下さい」と言われたような気がします。



義父の病院の方も同じです。

「入院直後」、「その後」、「希望したら」、

必ず状態の説明の時間を設けてくれています。



正直、オット母の病院の「放ったらかし」には驚いています。

もちろん、状態に変化がなく特に説明することもないのかもしれないけど、

申し込みを「却下」されるとは思いませんでした。



病院側の態度は、

「どうせ認知症で、これだけトシなら、たいした治療は必要ないんじゃない?」

というものにしか見えません。

それが私の受けた率直な印象。

とにかくオットと時間の調整をしながら早く面談を決めてもらおうと思います。




さて。

先日「オット母が何の反応もないから声をかける気になれない」

という記事を書いたところ、いつもブログを見に来てくださってるよしこさんからこんなコメントをいただきました。

「目を開けてもわからないようだとの事ですが、反応が出来ないだけで、ちゃんと見たり聞いたりできている事があるそうなんです。そういう状態から回復された方がいて、手も足はもちろん、何も動かす事も話す事も出来ないんだけれど、ちゃんと誰が来て何を話しているかわかっていたそうです。だから、普通にあいさつしたり、帰るねでもいいので、声を掛けてあげるといいかもしれないですよ」

これを読んで思い出したことがあります。


私の実母が入院していたとき。

もう肝硬変も末期で脳症を起こし、目は開いたままどこも見ていないし、口も開いたまま。

身動きひとつせず、何を言っても反応がなくなってしまった頃のことです。

子どもをオットに見てもらって、私は病室でひとり母に付き添っていました。

こんなときは、楽しかったことなんて思い出せないものです。

自分が母親に対してとった親不孝な言動ばかりが頭に浮かんでくる。

どうか元気になって、どうか頑張って。

一緒にまた買い物に行こうよ、孫のために服を買ってあげて。



母親がまだ自宅にいた頃、私は母がうちの娘に服を買ってやったりすることを

嫌っていました。

これからたくさん治療にお金がかかるのがわかっていたから。

「うちの子に服なんか買ってくれなくていいから、治療に専念して」

そう言って母が孫に何かを買ってやることをやめるように言っていました。

・・・そんなことひとつとっても、後悔のタネなんです。

痩せ細った母の横で山のような「後悔」に押しつぶされながら

私は母に言葉をかけていました。

「お母さん、私に親孝行をさせてよ。

だって私お母さんにはまだ何もしてあげてない」

泣かないように必死になりながら母の手をにぎって話しかけていたときのこと。

母が私の手を握り返してきたんです。

とてもとても強い力で。



でも・・・・

今思うと本当にバカみたいですけど、

そのときは母が聞いてくれてる、わかってくれてるなんて

ほんの少しも思わなかったんです。

だって他のときはもう何の反応もなかったから・・・

見ている、聞いている、思ってる、なんてこれっぽっちも思わなかった。

だからそのときは、どこか苦しいんだ、どこか痛いんだ、と思っていたんです。

痛いから、苦しいから手を握ってそれに耐えてるんだ、と思いました。




でもね。

母が亡くなってしばらくして、ようやく落ち着いて考えられるようになった頃、

ハタと気付いたんです。

あのとき、お母さん私に返事をしてくれたんだって。

私が言ったことに対して手を握り返すことで返事をしてくれたんだって。

あんなにも強い力で握ったのは、

私に「親不孝なんかじゃないよ」って伝えたかったんだろう、と思います。

私がもし母の立場だったら、娘に絶対そう伝えたいもの。

バカですね、私。

そのときにどうして気付かなかったんだろう。









実は、コメントを下さったよしこさんのブログの記事に、

よしこさんのお子さんが老人ホームに行った際の

老人との触れ合いについて書いた作文のことが書かれていました。(→コチラ

「何もわかっていないように見える、

生きているか死んでいるのかもわからないような老人」が

実は本当はそうではなかった、という内容です。

お子さんの素直な視点での観察眼と表現力と、そして感受性に驚かされます。

とてもとてもとても感動したし、考えさせられる内容でした。

ぜひみなさんにも見ていただきたいなぁ~と思います。




認知症のお年寄りを見ていると、

何もわかっちゃいないだろう、どうせ忘れちゃうだろう、と思ってしまいます。

そして、そう思うことでイラついた自分やきちんと対応出来なかった自分を

正当化・・・というか自分をかばう?なぐさめる?ようなことがあります。

でも、問題はお世話がきちんと出来る出来ないではなく、

相手を同じ「尊厳を持った人間」として接することが出来るかどうかなんだと思います。


同じことを繰り返したり、粗相をしたり、言うことを聞かずにウロウロされたり、

一緒にいると気が狂いそうになることがたくさんありますが・・・

それでもやっぱり「義母」を「対等な人間」として扱えなかったことが

何度もあったことを思い出して、後悔をしてしまいます、、、


うちの母や、よしこさんのお子さんが行った老人ホームのお年寄りのように、

わかってないように見えるけど

「見てる、聞いてる、思ってる」オット母のために、

今日は声をかけて帰ってこようと思います。








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【2012/01/27 11:04】 | つぶやく | トラックバック(0) | コメント(6) | page top↑
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