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オット母の言葉に傷つく
義父が退院した日、

オットや私のいる横でオット母に向かって言ったことがあります。

「こない歩けんようになってしもうて」

「あ~あ~もう、ダメダメやんか」という軽蔑したような、あきれ果てたような、

そんな口調でした。

もちろん、やさしいことは言いたくても言えない(?)義父のこと、

オット母に対して「苦労かけたな」という気持ちも入っていたと思います。


でも・・・被害妄想かもしれないんですけど、

入院しているちょっとの間にこんなに歩けなくなったのはうちにいたから

私にはそう言っているようにも聞こえました。

その後、オットに向かって義父が言った言葉でその印象はさらに濃くなりました。

「お前の家におったらばーさんダメになるだけ」


オット母が我が家に来てから、

私なりに「認知症」という病気について勉強してきたつもりです。

『こんな言葉は言わないようにしましょう』

『こんな行動にはこんな理由があります』

『こんなときはどうか怒らないで』

理解し寄り添う・・・

現実的ではないように思えるアドバイスも、

それでオット母の気持ちがラクになるのならやってみよう、

そう思いながら過ごしてきました。

義父が退院したときに

「お前の家におったおかげでばーさんずいぶん良くなったわ」

と言ってもらえるように頑張ったつもりです。



だから義父の言葉にはとても残念な気持ちになりましたし、

デイケアなんか意味がないという考えにも賛同出来ませんでした。

義父はわかってない、と感じました。

現にオット母は我が家に来て4ヶ月の間に

状態が良くなっていましたから。。。



それでもやってきたことに間違いはない、という確信もありましたので

本心では義父の言葉も気になりませんでしたし、

義父の相手をするつもりもありませんでした。






ところが。

昨日、オット母がこう言ったんです。

「ここにきてからすっかり悪くなってしもうて」

多分、オット母は義父と同様、私やオットを責めるつもりで

こんな言葉を言ったわけではないと思うんです。

単に、「迷惑かけてごめん」「最近調子が悪くてね」

くらいのニュアンスで言ったんでしょう。。。


でも、何だかすごいこたえました。。。



オット母が、義父の元に帰りたがらないのも調子がいいのも

うちにいたからだ、そしてオット母自身もうちにいたいと思っている、

と思っていましたから。。。



義父の言ったことなら、

「どうせ義父の言ったこと」と思えます。

でも当の本人が

「ここにおったらダメになる」と思ってるんだとしたら。

うちにいる意味があるんだろうか?と思いました。


「迷惑ばっかりかけて」

「そろそろ帰ろうかと思う」

「ずっと世話になるわけにもいかない」

いつもオット母が口にするこういう言葉も

「ここにはもういたくない」の裏返しなんだとしたら。。。

さらに昨日は、

「お父さんに電話して迎えに来てもらおうか」とまで言いました。

・・・

。。。(0_ _)0ドテ





どうなんでしょう。

たとえ、認知症の対応マニュアルに沿って

「進行を遅らせる生活」を我が家で送れたとしても、

本人が「ダメになる」「ここにいたくない」と思ってて、

義父(配偶者)も「ダメになる」と思ってる。


「本当はそうじゃないよ、こうすることがいいんだよ」という説得は

出来るでしょうけど、それが果たして義父母のためになるだろうか?

他人の言うことは受け入れない義父、認知症の義母。

たとえ息子であっても「他人」から口出しをされず、

ふたりが思うように暮らす道を選ばせることが

彼らの望むことだとすれば・・・

それが(極端な表現ですが)「死に向かって一直線」の道だとしても

好きにさせてあげる方がいいんじゃないのか??なんて。

口出しされることを望まない人に、たとえそれが正論だとしても、

口出しをすることが必ずしも正しいとは限らないことがあるのではないか。

(ややこしいですね^^;)なんて思ってしまうのです。




そこは、オットと話そうと思っています。

オットが言うように、オット母は義父の元に帰すのが

結局一番いいのかも・・・とも思いました。

本人がそんな気持ちでいるなら早い方がいいのかもしれない・・・。

一方で「そんなはずない」と思う自分もいるんですけどね。。。



どう最期を迎えるか。

健康な人ならある程度の選択が可能です。

でも、認知症の人は必ずしもそうではありません。

ましてや、本音を押し隠して生きてきたオット母の望みは

私には知る由もないし・・・想像すら出来ません。



ここから先は、オットと義父母が決めること・・・なのかな。

でも義父はこれまでオット母に意見や希望を聞いたことがない、

「お前からばーさんに聞いといてくれ」と言ってる。

オットは「あの人たちの考えることはわからん」と言う。



なんだか、やっぱりオット母が気の毒なんですよね。。。




義父と、オットや義姉のために一生懸命生きてきたオット母。

認知症になって、どう過ごしたいか、どう最期を迎えるのか、

何も決めることが出来ず、決めてくれる家族もいない。。。

そんな風に見えてしまいます。







人生をどう過ごしたいか、どう死にたいかなんて、

健康で若いときには考えることではないかもしれません。

今の私のように、日々の生活に追われているときにも

なかなか考えないことです。

現に今、

「あなたはどういう人生を送りたいですか」

「あなたはどういう最期を迎えたいですか」

なんて聞かれても、答えに困ってしまいます。

でも、ときどきでもいいから、

「自分はこの先どう過ごしていきたいと思っているか」

という問いを自分に投げかけて、

今の自分はどんな自分か、これからはどう進んでいきたいか、

自分の中で確認をしておいた方がいいなぁ~って思いました。




がんばって家族のために生きているうちに

ただ何となく時間が過ぎていって、

気付いたら自分の道しるべを失っていた、

オット母を見ていると、

人間として・・・残してきたものさえ失う・・・

あえて言えば、そういう「恐怖」を感じます。


それもまた人生、なんて考えもあるでしょうが。


最後まで自分で選択出来る、そんな人生を送りたいものです。










まぁ、義父母に比べればまだまだヒヨッコのワタクシ。

学ばせてもらいながら暮らしていけること、

幸せに思わなくちゃいけませんかね~(* ̄▽ ̄)










今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました(^^)
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【2011/12/18 11:03】 | つぶやく | トラックバック(0) | コメント(10) | page top↑
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